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それでも市場メカニズムは働いている−
投機性悪説を考える
1バレル16.24ドル上昇して139.12ドルヘ。5日から6日にかけて36時間の原油急騰である。
前号のこのコラムで「原油高一休止」の背景を135ドル原油が需要の屈折点を告げると書いたが、いやはやである。
「6月第1週はじめに投機家は米国のさらなる需要減の兆しと一部のアジアの国で石油製品への補助を撤廃する動さが出てきたのをみて120ドル以下への値下がりを見込んで売りを出した」(英紙ファイナンシャル・タイムス(FT、10日付市場と投資面の「投機家。2日にれたる石油の上昇で痛手と題する記事」)。 目先下落とみた弱気の踏みが踏みを誘う形の上昇のきっかけはECB(欧州中央銀行〉のトリシェ総裁が記者会見で、7月にも利上げあるべしと語り、ドルが急落したためである。ドル安なら石油高という読みが市場を圧した。
別項でソロス、デサイ氏による原油高の元凶はインデックス・ファンドにありとする主張を紹介したが、FTの10日付投稿欄には「石油価格は銀行とヘッジファンドの手中にある」というフィディルティ・インターナショナルのマイケル・ゴードン氏の投稿がある。
「いまだれが石油価格を動かしているかの答えは金曜(6日)の値動きでかなりはっきりした。石油消費の多い産業での首切りによる米国の失業率の上昇という負の需要ショック下に10ドル幅の上昇。もしファンダメンタルズが意味を持つなら値下がりするはずではないのか。米ドルの下落は妥当であり理解できる。原油と他の商品の値上がりは常識を欠くところだが、商品と通貨のポジションがリンクしている投資銀行とへッジファンドからすると、そうではない」
「ドルの下落は投資銀行とへッジファンドにとって石油の積極買いの誘因となる。だれが石油上昇の元凶かをめぐるFTの論争の答えは金曜で明白になった」
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で、投機は性悪なのだろうか。
ソロス氏は議会証言で「私は石油のプロではないが」と断り文句を述べたようだが、プロはどうみているのだろうか。BPのチーフ・エグゼクティブ、トニー・ヘイワード氏の寄稿文を読んでみる(FT11日付、コメント面の「市場をしてエネルギー危機を終わらせよ」)
ヘイワード氏はいくつかのミス(神話のなぞを解いている。
「第1の神話は高値はテクニカル要因、例えば投機によるというものだ。データは高値は経済的ファンダメンタルズに起因することをはっきりと示している。世界エネルギー需要は07年まで5年連続して平均以上の伸びを示している。需要の伸びは補助策のある途上国、中国、インド、それに産油国自体に集中している。供給は需要の伸びになかなか追い付けない。OPECの産油量は07年には日量35万バレル減った。OECDの市場適応国の産油国の生産量も限界に達している」
「30年前の石油急騰時には北海油田が下落に寄与した。今回、新OECD生産はカナダのオイル・サンド、北極、そしてメキシコ湾岸の深海部などの援軍が見込まれる。供給サイドではロシアの供給が落ち始めていることは大きい。これまで中国とインドの軍費増加分はロシアの供給分にほぼ見合ってきた」
「BPのような国際石油会社の資源へのアクセスは制限されている。資源ナショナリズムは高揚している。最良の技術を駆使して開発困難な供給源を稼動させることができる石油メジャーの力が阻害されている」
第2の神話─炭化水素(石油、天然ガス、石炭)枯渇、第3の神話─低炭素社会への早期転換、についてもヘイワード氏はきっぱり否定している。
「結論はシンプルである。生産者、消費者ともに市場のシグナルに素直に反応すべきである。高値は我々にさらなる投資が必要なことを告げている。エネルギーの効率化、新たな生産、新技術、風、太陽、そして原子力など新たなエネルギー源などに向けての投資である」
石油のプロ中のプロは市場の力とその発するシグナルこそエネルギー危機を救うと説いている。
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BPが11日発表した年次世界エネルギー統計レビューによるとOECD各国の需要ははっきりと落ちている。
「07年、中東産油国や中国での減少はみられないものの、先進国の石油消費は1983年以来の大幅落ち〈OECD加盟国の石油消費は日量39万バレルの減)この落ち込みは08年も続いており、例えば米国のガソリン需要は1ガロン4ドルにも達したため5月には日量14万バレル落ちた。だが、非OECDでは07年には140万バレル増え、08年も増え続けている」
 グラフは英誌エコノミスト(5月31日号)の渇き和らぐというタイトルのOECDと非OECDの石油消費量の推移。こと先進国は高値がぶ呑み体質を変えてきたことがわかる。
投機が時に相場の高下を増幅させることは否定できない。だが、市場の発する価格シグナルは時をおいて需給に影響していくことも確かである。
日本の商品先物市場─そこでは投機論議もどこえやら、取組高低下をなげくばかり。
梅雨寒さながらである。 |