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谷崎久兵衛の死
市場経済研究所代表 鍋島 高明
 明治から大正初めにかけて、蛎殻町が一番華やいだ時代に、この町の顔であった谷崎久兵衛。その最期がはっきりしなかったが、マイクロフィルムに収まった古い新聞をのぞいていて、大正4年8月、覚悟の自殺をしたことが分かった。同年8月4日付東京朝日新聞は「仲買人、汽船より投身自殺か、小説家谷崎氏の伯父」との見出しで、以下のように報じた。
 「日本橋区蛎殻町仲買、谷崎久兵衛氏(59)は去る1日午後9時霊岸島発伊豆下田行き大正丸に中等船客として乗込み、下田に向かいたるが、同船が翌日下田港に着し、人員検査によりて初めて同人の在らざるを発見したる旨、谷崎家に通知ありたるをもって、同家にては大いに篤き、目下屍体捜索中なるが、同氏は小説家谷崎潤一郎氏の伯父にして同業者間に信用を得いたる位にて自殺の原因とみるべきものなく、昨今は土用波の高き候なれば、激浪にさらわれたるに非ずや」という。
 久兵衛の死は、土用波にさらわれたのではなく、息子の不始末に対し、死をもって詫びたのだった。潤一郎の弟谷崎精二の証言によると、「長男が放埒で、無茶な相場に手を出して借財ができたため」という、
 死亡広告には3人の息子と父久右衛門の名がある。この時80歳を超しているはずだが、「谷崎物価」と称する相場情報紙を発刊、谷崎家の中興の祖といわれる人物。後継者を失った心中は察するに余りある。久兵衛は谷崎家の大黒柱であった。
 久兵衛は蛎殻町屈指の声望家でもあった。当時の評判記は「その性や円満、その容や慎率、隠然蛎殻町の中枢、仲買人組合委員長に推されているのは、その筈である」と称賛している。現在なら東穀協会会長といったところだが、一流財界人の証明ともいうべき東京商業会議所のメンバーでもあった。
 死の1年前、大正3年7月、久兵衛が突然、委貝長を辞めるといい出し周囲は驚くが、この時長男の不埒が明るみになって、委員長のポストを返上したのであろう。蛎殻町140年の歴史で功労者十指に人る人だった。指導者を失った蛎殻町景気はその4年後、ピークアウトする。
(週刊 先物ジャーナル 08年6月9日 942号 掲載)