日本相場師列伝U
市場経済研究所代表 鍋島 高明
 本書は06年に出版した「日本相場師列伝」の続編である。前作と同様、70人の相場師の足跡と信条を収録した。終生相場師に徹した人もいれば、若い時相揚でタネ銭を稼ぎ、あとは手堅い実業界に進んだ人もいる。割合としては後者の方が多いうに思うが、実業界入りして相場と縁を切るかというと、そうではなく、相場とはつかず、離れずの関係を保つことになる。
 本書には出てこないが、日本化薬の社長を38年間つとめて98歳の大往生を遂げた原安三郎は少年時代に麻の相場で大儲けした。徳島から栃木に乗り込んで麻を買占め、日光見物から帰ると大幅に値卜がり、東京の問屋に転売して巨利を博す。もっと持っていたらもっと儲かったのに、と口惜しがる辺りは、阿波商人の耐目躍如。
 17歳で相場の味をしめた原は終世、相場と縁が切れることはなかった。3歳で骨膜灸を患った原は右手左足の自由を失い、身体的ハンディを知略で補って余りある人生だった。原の記憶力は凄かったというが、相場は記憶力の勝負でもある。
 原の注文がほしくて日本化薬の重役室に日参した男がいる。後に小柳証券社長となる小柳正治で、毎朝9時に自宅に電話を入れて相場を伝え、夕刻には気配表を持って会社を訪ねた。兜町事情に詳しい三鬼陽之助によると「小柳は原の機関店だった」そうだが、小柳の経営がおかしくなった時、原は自ら山一證券の小池厚之助会長を訪ねる。
 小池は大神一社長と相談、「ここで面倒をみておくことが長期的にはプラスになる」と意見が一致、傘下に入れる。原が関係する何十という企業、団体群が山一首脳の脳裏をよぎり、決断したのであろう。
 原が、女婿で大蔵省証券局長をつとめた坂野常和を後継者に決めた時、最初に言ったことは「雨宮敬次郎伝、山本条太郎伝を読め」であった。共に大投機師で、特に雨敬は「投機界の魔王」と恐れられた男である。リスクを冒せ、と言いたかったのではないか。山本条太郎は三井物産常務から満鉄総裁となるが、原が人生の師と仰いだ人物。
 前出の雨敬は前作に登場、大神は本書に収め、原、小柳、山本、小池らは次作にと思っている。本書が読者の支持を得れば、パート「V」も可能になるだろう。ひたすらそれを願って、相場師の墳墓掘り起こしに精を出しているところです。
(日経ビジネス人文庫刊、714円+税)

     (週刊 先物ジャーナル 第 939号掲載)