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相場師タタ
市場経済研究所代表 鍋島 高明
近年、インドの経済力が目覚しい。中国ブームの次はインドだという。躍進するインド経済の牽引役がタタ財閥。鉄鋼や自動車など様々な分野で海外企業の買収に次ぐ買収で、タタ・グループの株式時価総額は800億ドルにのぼる。世界経済の台風の目となってきたが、タタ財閥の創始者、ヌッセルワンジ・タタ(1839〜1904)は日本人でいえば、安田善次郎、大倉喜八郎、渋沢栄一、渋沢喜作などとほほ同い年であり、J・P・モルガン、カーネギーと同年代の人。
タタ財閥の礎は「相場」で築かれた。前出の日米の超富豪がともに相場師として巨利を占め、実業の世界へ飛躍する土台を作ったと同じようにタタも熱狂相場の申し子である。
1861年、アメリカで南北戦争が勃発する。イギリス・ランカシアの綿紡績業者たちは、急拠インド綿花の大量買付けに走り、積出港ボンベイの綿花相場は暴騰、インド商人たちは皆大儲けした。
これより先、タタは香港、上海に商売の拠点をつくり、綿花と阿片を中国に輸出する一方、中国からは茶、絹、銅、金、肉桂(シナモン)などを輸入し、往復で儲ける「のこぎり商法」で資産を膨らませていった。ここで培われた商才が空前の「綿花ブーム」で見事に開花した。
綿花相場の暴騰でボンベイに流入する臭大な量の金・銀に商人たちは、この繁栄が何時までも続くような錯覚に陥っていた。歴史家はこう書いている。
「各地の綿作地帯に買付代理商を設け、取引量の増大とともにいくつかの綿花仲買企業をも支配するようになった。土地の埋立てや不動産の売買、その他多種の投機的事業にも盛んに投資し、アジア銀行の創設を主宰して、企業熱の金融に乗り出した」(市川敬一郎)バブルは早晩、弾ける。それは万古不易である。タタは莫大な為替手形を抱えてイギリスに旅立つが、まだ船上にいる間に綿花ブームの雲行きが怪しくなる。ロンドンに上陸した時には、綿花相場は暴落、たずさえていった証券類の価値もガタ落ちしてしまう。
タタの悪戦苦闘が始まる。ボンベイの邸宅はじめ私財を投げ出して債務を償う。折しもアビシニア(エチオピア)戦争の勃発で軍需物資の用達を請け負い、再び巨利にありつき、完全に復活、タタ財閥の再構築が本格化する。
草創期に南北戦争バブルの大相場とその反動を経験したことが後年、タタの大きな財産となった。相場は時には人を破滅に至らすが、人材を産み、育てる道場のようなものである。 |