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サマワに架けた橋
沼野 龍男
 第二次大戦中、クワイ河に橋を架け戦略物資の輸送路を確保することが、南方の日本陸軍にとって重要課題であった。イギリス軍の捕虜収容所に対して、その架橋工事の命令が下った。
 イギリス軍兵士たちは「利敵行為」になることなど請け負えないとばかりに、収容所の環境や待遇に難癖をつけて改善を要求し、できるまでは取りかかろうとしなかった。サボタージュで士気は低下し目標期限は日ごと迫ってきた。
 イギリスは土木建築工事では世界に冠たる国であった。日本軍はそれを見込んでの発注だった。
 収容所の士気の低下を憂いた英軍指揮官は兵士たちに説いた。目先は利敵行為かもしれない。しかし戦争はいづれ終わるだろう。その時、この橋は地域の人々にとってなくてはならないものになるだろう。
 丈夫な橋をイギリス人魂で立派に作ろうではないか、と。低下していた士気も高まり、架橋作戦を見事にやりとげた。日本軍もイギリス軍人魂に敬意を表した。
 クワイ河マーチとともに、名画「戦場に架ける橋」で60年以上経った今も語り継がれている。
 さて、3月20日でイラク開戦5年を迎えた。日本の陸上自衛隊が駐留したサマワでは、日本贔屓の住民も多いらしい。3月19日付の朝日新聞は、「駐留中に自衛隊と外務省が発注した様々な復興支授事業では、地元業者によるずさんな工事が目立っていた。多額の事業が現地の腐敗を助長したとの指摘もある」と報じている。
 舗装工事はアスファルトが薄くて、2、3年でだめになる。工事費を浮かすためにした手抜き工事を見通していたのだ。
 地固めが不十分な道路は穴だらけらしい。学校の改修でも壁にヒビが入り、大井の漆喰がはがれ落ちるような工事は、全体の半分以上もあるらしい。日本でも手抜き工事は最近よく耳にする。
 1998年、米国の圧力によって日本の建築基準法が改定された。米国政府は安価な米国産木材の輸出増大と米材を使う2×4(ツー・パイ・フォー工法の採用、及び耐震性に問題のある木造3階建て住宅を日本政府に認めさせた。この時、多くの日本人はあの阪神大震災(1995年1月17日)の経験にてらして、政府が日本国内の建築基準を強化したと信じていた。
 だが、事実は全く逆だった。伝統ある日本の建築基準は米国並の甘い物へと変えられてしまったのだ。
 多額の税金を使ったのなら、「クワイ河の橋」を再現して欲しかった。
 法律や基準がどの様に変わろうとも、最小限せねばならぬ基準は我々の心の中にあるもの。委託の勧誘においても同じこと。新入社員諸君頑張ろう。
(週刊 先物ジャーナル 08年4月14日 934号 掲載)