文人理事長・石田朗さんを悼む
先物市場をこよなく愛した気骨の人
  
 石田朗さんの労作『東京米穀取引所戦前の理事長』は徹底した史実追及の姿勢で貫かれている。「天下の糸平」田中平八の取材では長野県駒ヶ根を訪ね、中村道太を豊橋公園に追跡し、片野重久の足跡を秋田に求めた。米倉一平のふるさと九州日田を訪ねた時は「念願がかなった」とその喜びをにじませておられる。
 石田さんの最後の著作『東京米穀取引所史』に掲げられた戦前の理事長・頭取22人の肖像写真は圧巻である。石田さんの執念を見る思いがする。その中に1点だけ小生が探し出した写真を採用してくれている。国会図書館でマイクロフィルムになっている経済新聞(現日経とは別物)の中から見つけたもので、相場に失敗、割腹して果てた片野重久の肖像。写りはよくないが、そのコピーを持って石田さんを相談役室に訪ねると、わがことのように喜んでくださった。
 石田さんとは神田神保町の古書街でたびたび出会い、お茶をご馳走になりながら『戦前の理事長』のことなど語り合った。ある時、『戦後の理事長』はお書きになりませんか、と水を向けたが、戦後はモノが小さくなったからねと笑っておられた。
 岩波書店から自費出版した『石田朗著作集』のことは余り知られていないように思う。私はねだって第5巻『農産物先物市場』をいただいたが、その冒頭で「投機は資本主義の最高の花であり、最深の根である」と喝破した経済学者、フィルファーディングの言葉から説さ起こしておられる。石田さんの先物市場に対する深い信頼と共鳴、そして愛情すら感じ取れるのである。石田さんは板寄せ、ザラバ両仕法の長所、短所を見比べながらこう結んでいる。
 「いずれも長所と共にいくらかの短所を持ち合わせ、改善の余地があるといえようが、競売買を公正かつ能率的に実施していくという観点からいうなら、現在のところ『電算化による板寄せ仕法』が、将来の理想的な取引仕法に最も近いと筆者は考えるが、いかがなものであろうか。今後の客観的な検討が期待される」
 石田さんは「枚寄せ」に固執されていた訳でなかづた。単なるグローバルスタンダード論でことを決するのではなく、「客観的な検討を期待し、後輩たちに宿題を残された形である。
 いま筆者は『商品先物年表』の編集に携わっていて、その○頭を飾るにふさわしいのは石田さんの『青渕渋沢栄一翁と取引所』と題する文章であると考え、東穀取の比嘉一市常務理事を通じて、転載の快諾をいただいた直後に、訃報に接し、絶句した。
 渋沢栄一を日頃から崇敬しておられた石田さんは、昭和4年東京米穀商品取引所ビルの竣工記念に渋沢翁が寄贈された書「成名毎在窮苦日 敗事多因得意時」(名を成すは毎に窮苦の日に在り、事に敗るは多く得意の時に因る)に早くから着目され、この言葉の重みを普及、浸透させることに意を尽くしてこられた。
 石田さんはその文末でこう述べている。
 「わが国でも先物取引の一層の活用が論ぜられている。しかし、今日なお、先物取引に対する誤解や偏見も、後を絶ってはいない。こうした中で、先物市場の健全な発展を図ることが、今後の大きな課題であろう。いまや経済の重大な転換期を迎えて、明治の偉大な先覚を思うこと切なるものがある」
 平成元年に執筆された玉稿は今も色褪せない。石田さんの先物市場への深い愛情を感じないわけにはいかない。  合掌

市場経済研究所代表 鍋島 高明
(週刊 先物ジャーナル 08年2月11日 925号 掲載)