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四六時中考える相場師 鈴木四郎
市場経済研究所代表 鍋島 高明
 明治物産の創業者で、東京穀物商品取引所の第4代理事長として、蛎殻町の黄金期を演出した鈴木四郎氏。生来、相場が大好きで学生時代も、兵隊時代も、片時も相場のことを忘れなかった。同社の50年史にはこう描かれている。
 「稲田大学に入っても相場のことは忘れられるものではなかった。四郎は医学生の友人と二人で蛎殻町へ通った。紺絣の着物に袴をはき、角帽をかぶった大学生が、二人づれで仲買店へ出入りするのは人目についた。しかし、そんなことを意に介する二人ではなかった」
 コメの先物相場を張る証拠金が底をつくと、わずかな金で勝負できる「合百」に手を染めた。前場引値を当てる一種のバクチで、かつては「蛎殻町名物」だった。取引所の外で行われるから「表戦」とか「場外」とか呼ばれた。
 兵役についていた時は外部との連絡がままならず、動きの激しいコメはやらず、もっぱら株を手掛けた。株屋への指示は、たまの外出日と、同僚の面会人を利用して行われた。軍服を着て相場を張りながら、1年間の軍務が終わって除隊の時は、少尉に任官していた。
 当代切ってのノンフィクション作家の沢木耕太郎が鈴木さんにインタビューしたのは昭和50年頃のこと。東穀取理事長を退任して悠々と相場を楽しんでいた時期である。
 「私たち(プロ)はね、相場が真っ赤に燃え上がる寸前にそれが見えるんですよ。そしてね、炎が巨きく天に届きそうに燃えさかるころには、私らは真っ白に燃え尽き、灰になっていなければ、駄目なんです」
 作家で相場評論家としても人気の高かった沙羅双樹は鈴木さんと昵懇で、鈴木理事長時代に東穀の公益理事として起用された。鈴木さんの伝記も書いているが、その中の1節─。
 「いまも朝起きると考えるのは相場のことであり、夜寝てから考えるのも相場のことである。『四六時中考えても、まだ考えたりぬのが相場です。邪念はできる限り持たないようにしている』」
 鈴木さんの側近として仕えた東穀取元専務理事の森川直司氏によると、「俺も取引所の理事長になったから相場は一切止めた」などいって、いくらもたたないうちに訪ねてきた人たちと相場の話に熱中していたとい、う。鈴木さんはいくら遅く帰宅しても毎朝4時に起きてケイ線をにらんでいた。根っから相場が好きだった。80歳に長逝して、今年6月で30年になる。
(週刊 先物ジャーナル 08年2月4日 924号 掲載)