カラ売りの恐さ
市場経済研究所代表 鍋島 高明
 鈴木商店の大番頭として勇名を馳せた金子直吉の顕彰碑が六甲山麓にあって、「資性高潔、識見高邁、奇策縦横ノ士也」と刻まれている。鈴木商店は昭和金融恐慌で破綻するが、彼が作つた帝人、神戸製鋼所、ホーネン、サッポロビール、、石川島播磨重工業所等は今も隆々と活動を続けている。
 金子直吉は数々の語録を残すが、その1つに「カラ売りは絶対せぬこと」とある。
 「手持ちしない物を売って、受渡期日が来て、引渡す品物がない場合はどうにもならず、解合を申込んでも、相手に『金が欲しいのではない、品物が欲しくて買ったのだから現品を渡せ』と頑張られたら頭を下げて詫びるより外に通がないが、頭を下げるとうことは最も信用を落とすから注意しなくてはならぬ」
 金子がカラ売りを忌避するのは自身、若い時樟脳のカラ売りで大やけどをした苦い経験があるからだ。
 明治28年創業者の鈴木岩治郎が他界、未亡人に仕えていた時のことだが、日清戦争に勝利して台湾が日本の領土になるとの噂にロンドンの大相場師、ノースが樟脳の世界的買占めに取りかかる。ノースが買い出動したのは、台湾は日本の領土となっても島民はこれに服従せず、ひと騒動起こって樟脳は市場に出てこないと読んだからだ。
 この時、金子はノースに売り向かう。40円台から売り始め、相場は上がる一方、ついに95円にまで冒頭する。ノースの買い占めを甘くみて、カラ売りを重ねた結果、鈴木商店の損勘定は莫大な金額に膨れ上がる。金子の沈んだ表情に「お家はん」は「直吉、どうした、金が足りないのなら少し位は奥の方から足しておこう」と慰めた。金子はこの時、意を決して、巨揖をこうむっていることを告白する。
 驚いた「お家はん」は実兄や亡夫の知己を集めて鳩首会談の末、損失を最小限に食い止めて解決するよう金子に命じる。金子は先売り契約した外務商館を訪ねて回り、詫びを入れる。この時、短刀を携え、○○○ドルで勘弁していただけなければ、腹を切るまでです、と短刀を抜いて窮状を訴えた。
 金子の為誠に外国商も折り合ってくれたがこの時の辛酸が金子に「カラ売り厳禁」の信条を植え付けた。日露戦争、欧州大戦景気などでは買いしか知らない金子の作戦は図に当たり、一時は三井、三菱をしのぐ勢いだったが、不況期には「カラ売り」は必須である。昭和2年の恐慌下で破綻したのは「カラ売り」を売らない男の悲劇ともいえる。
 「カラ売り」のことを普は「旗売り」といい、そのまた昔は「端売り」と書いた。あたかも井戸端にし立った時のような危険な状態という意味だ。危険な井戸端に利益が埋められるのだから相場の世界は奥が深い。