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出でよ「職業的玄人」
「相場は生きている」(岩本巌著)の「素人買いの心理」から長過ぎるとそしりを覚悟で以下を引用した(間引いた部分もあるが、岩本調をあまりそこないたくなかった)。
不愉快なことを忘れようとする本能的傾向を心理的では抑圧作用と読んでいるが、大衆の相場に対する考え方の中にも、「売り」に対する抑圧作用が潜在的に働いているようである。その抑圧作用というものを分析してみると、本能的理由、連想的理由、習慣的理由、常識的理由、経験的理由という五つの理由が考えられる。それを簡単に説明しよう。
(1)本能的理由。これは言葉をかえていえば自己保存欲とでもいうべきもので、相場が下がることに対する本能的恐怖である。たとえば相場が下がれば自分の今までの労苦が泡沫のように無駄なものとなり、財産の価値が減ってしまうという考え方は、本能的に誰もが持っているものだが、そのほか値下がりと不景気を連想して、生活苦を恐れるという連想作用も働いている。しかしこれは明らかに物の投機価値と使用価値を混同した錯覚であろう。
(2)連想的理由。値下がりと不景気を連想しやすいのは、反面において儲けるという観念から上に向かって伸びるというイメージを連想する気持ちを、われわれが先天的に持っているからでもある。
(3)習慣的理由。われわれ大衆は常日頃、物を買う立場から眺めている。これは値頃だと思って買うことがあっても、そんなに高値なら売ってやろうと考えることはまずない。
(4)常識的理由。われわれの常識は、現実に持っていないものを売ることは不可能だとする。売るためにはまず物を持たねばならないと教えている。これがカラ売りを控えさせる原因の一つだ。
(5)経験的理由。日本の資本主義経済は過去において、戦争とインフレで急速な発展を遂げてきた。そうした経験からお金に対する信頼よりも、物に対する信頼の方が強く、ともすると換物買い気分を誘う。
以上のような理由から、大衆は「売り」に対して無意識のうちに抑圧作用を行っているのであろう。
大衆というものは先行きについて弱気になった時は相場に手を出さない。下がり相場は見送って上がり相場の時期を待つ。そういう意味で大衆は本質的に強気なのだ。
「素人買い」という言葉が生ずるゆえんであろう。
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「ここ20年、一般の投機家も売りの妙味に目ざめ、素人と玄人の分け目がなくなった」
こんな反論があるのは承知のうえだが、「相場は生きている」同様、「岩本解説も生きている」と考えるのは上昇相場でこそ出来高・取組高は膨らむ─というパターンは崩れていないためだ。
岩本さんは「玄人売りの意味」という項目で「素人買い」という言葉が大衆のある心理的傾向に根ざした普遍性を持っているのに比べると、「玄人売り」という言葉はそれほど一般性がないようだ。それにしても玄人を称せられる人々の手振りには、たしかに「買い」より「売り」に傾きがちであることは否定できない、と延べ、玄人と二つに分類している。
一は手持ち商品の保険つなぎの場として市場を利用する職業的玄人、二は相場通という意味での玄人で、下げ相場が上げ相場に比べて、短期間に大幅な値動きをみせるところから売りを第一義に考える。
一の職業的玄人は素人同様、上げ替成であり投機的に売り叩こうという気は毛頭持っていない。
岩本さんの本が最初に出た時期は糸へん産業がそろそろ下降線に入ってきたころ合いだが、市場の真ん中にどっしりと職業的玄人が居座りその左右に素人買いと相場通の玄人売りが配置されていた。
例えば綿糸で紡績は原料綿花はロング(買い持ち)だから、製品である糸市場でヘッジ売りを出さなければならない。綿糸を仕入れた糸商も市場につながなければならない。だが、生産コスト以下の売り叩きは避け、安値は在庫を増やすなり防戦買いに出る例もまれではなかった(最終的な安値防衛は減産を目ざす不況カルテル結成)。
ざっと半世紀後のいま、日本の商品先物市場には真ん中にどっしりと控える職業的玄人の存在は薄い。
石油精製業者は原料原油のロングをどうヘッジしているのだろう。一部で利用率が上がってきているが、多くは消費者に価格転稼という名でリスクをカバーしているのではなかろうか。
職業的玄人(当業者)不在とまではいかなくとも、その存在感の薄い市場では相場は迷走しやすくなるのではないか。
「グレー・チューズデー」─英エコノミスト、3月3日号の上海発の世界連鎖株安の解説記事の見出しだ。ブラック・マンデー(1987年10月19日のニューヨーク発の世界同時株安)ほどのインパクトはないという見通しを込めての見出しだろうが、3月第2週はじめにかけての落ち着き模様を経て、3月13日のニューヨーク発のプチ・グレー・チューズデーである。
株、新興国債券、通貨、金をはじめ農産物に至る市場での同調的な売り人気。個人投機家もヘッジファンドもリスク資産を目いっぱい買い込んでいたとがめではないのか、ヘッジファンドとは名ばかり、「相場通の玄人」ではなく素顔は上がるから買う「素人買い」の仲間だったからこそ、相場が一方向に走ったのではないか。
ヘッジファンドの資金源でもある金融機関はリスク資産投資への資金供給に一定の歯止めを果たしてしかるべきはずだ。
日本の商品先物市場だけでなく、いま世界的につなぎを心得た職業的玄人層が薄いのではあるまいか。
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「食料品価格の高騰がインドの政治家と先物市場をおびやかしている」 英誌エコノミスト(3月10日号)の金融・経済のページにこんな見出しの記事が出ている。
「2月の州選挙でインドの与党(コングレス・パーティ)は食料品高騰に怒る国民の投票で痛い敗北を喫した。罪はいずこにありや。インドの先物規制機関(消費食料省配下で独立性を欠く)は商品先物市場にほこ先を向け、小麦とコメ先物の新規売買を禁止した。新規取引は買い建てを増やし、値上がりを招くという理由からだ。1月にも同様な理由から二種の豆類の先物取引を禁じている」
「先物取引所側は小麦の年間生産が6900万トンに比べ、新規取引禁停止時の小麦先物の取組高は8万9000トンに過ぎないうえ、小麦の先物価格は取引停止措置前に春小麦の豊作予想で下がり始めていたと反論している」
筆者が糸へん相場を取材していた昭和37年(1962年)だったろうか、人絹織物
産地を控える福井県選出の通産大臣が「人絹糸高騰はけしからん」と介入姿勢をみせた記憶がある。昭和48年(1973)3月に行政当局による生糸、綿糸の立ち会い停止措置があった。大幅値上がりの元凶は先物市場にあり、という理由だった。
日本の商品先物市場には1973年以降、価格への官の直接介入は途絶えている。市場システムへの理解が進んだのか、国際商品中心の市場では一国の介入に限界があるということなのか、はたまた経済社会における商品先物市場の相対的地位低下を示すのか。
クリーン・フロートにさおさす価格介入は論外だが、これだけの荒れ模様の中で先物価格への関心が高まらないのは相対的地位低下のせいだとしたら淋しい。
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