「相場師秘聞〜波乱曲折の生涯」
米騒動下、信念に殉じた増貫
市場経済研究所代表 鍋島高明
 増田貫一は大正米騒動下、最も目立った相場師である。時の政府は米価高騰は相場師たちが先物市場で買いあおっているためだとにらんで増貫や伊藤延、岡半ら名、つての相場師の摘発に乗り出す。大正バブルで諸物価高騰に頭を痛めた政府は前年、暴利取締令なる法律を用意していて、その適用第一号として身柄を拘束されたのが増貫である。
 当時の新聞をめくっていると、朝日、東京日日、都新聞ら主力紙がこぞって社会面で顔写真入りで大きく取り上げている。東京毎日新聞に至っては、「増貫一代記」と題する連載読み物を始めるありさまで、さながら英雄扱いである。もともと、増貫は人気のある相場帥だったから、マスコミは好意的である。
 対する農商務相仲小路廉は高級官僚から大臣に就いたエリートだが、市場の実態を知らないじ増貫たちを市場から追い落とせば米価は沈静化するとタカをくくっていた。増貫は令状を持つてきた役人を前に気炎を上げる。
 「一体暴利令などは実業家の意見を聞くでもなく、単にテーブルの上の考えで作ったもので、米価の調節などできるはすがない。天下の米はいかに大臣が騒いだとて、どうなるものか。米の相場は自然の需給給で決まるのだ」
 ここで、無理に米相場を抑え込むと、端境期にはかえって暴騰するぞと主張するが容れられず、懲役2ヵ月に処される。増貫はすぐ控訴、控訴で大審院(最高裁)にまでいくが、敗訴に終わる。外の相場師が転売命令を受け入れたのに対し、増貫だけは建玉の転売を拒否した。「自分の信念で買った米だから売らん。売買は営業の自由である」と頑張って、獄中につながれる。増貫予言は的中し、米相場は暴騰、米騒動が勃発、寺内正毅内閣は瓦解、仲小路農相も退任する。
 増貫の最期がはっきりしないが、獄死したとも伝えられる。鳴呼、増貫よ。本書は、そんな一癖も.二癖もある相場師たちの物語である。
 

    (週刊 先物ジャーナル 第865号 掲載)