CMEによるCBOTの実質的な買収は、先物取引の歴史上、大きな転換点に数えられることになるだろう。だがそれはCBOTが「先物取引の創始者」であるためで、買収それ自体は、世界のデリバティブ取引所の再編・合併の大きな流れの中では、ひとつの出来事に過ぎないとのとらえ方もある。
今回の「合併」発表は、結局はCBOTの電子取引に対する敗北と見る向きは少なくない。そしてそれはとりもなおさず、CBOTのフルメンバーたちが時代を読む目を誤ったとの指摘につながる。いま思えば、事ここに至るまでにはいくつかのターニングポイントがあった。

取引所再編の始まりをいつに求めるかは異論のあるところだろうが、ユーロネクストによるロンドン国際金融先物取引所(LIFFE=当時)の買収を振り出しとするのは的はずれではないはずだ。
ユーロネクストはパリ(フランス)、アムステルダム(オランダ)、ブリュッセル(ベルギー)の、国境をまたぐ3つの証券取引所が同盟を組んで形成した取引ネットワークで、2000年に誕生した。目的は流動性の向上だ。現物株式、デリバティブ取引の電子取引システムを統合しクロスボーダー取引の注文を1カ所に集中させることで実現した。その後、ポルトガルのリスボン証取も加入している。
いまでこそ世界の一大勢力を築いているユーロネクストだが、発足当時はどれほどの期待が持たれていたか。その取引所群が歴史と伝統のあるLIFFEの買収を成功させたことは市場関係者を驚かせた。そしてそれは大きく伝えられたが、LIFFEに目をつけた理由が、ゆくゆくユーロネクストのデリバティブ取引の中心システムとなるLIFFEコネクトにあったことへの言及は少なかった。
そしてそのLIFFEコネクトは、皮肉なことだが、LIFFEがもうひとつの新興取引所でドイツ取引所を母体とするEUREX(旧DTB)に基幹商品のブンズ(独国債)を容易に奪われたことから開発が始められた経緯がある点に言及しておかなくてはならない。
EUREXとLIFFEの闘いは、そのまま電子取引対オープン・アウトクライの対決であった。伝統あるLIFFEは昔ながらの取引仕法に固執した。手振り取引の成功の歴史は、そのままLIFFEの栄光の歴史でもあるからだ。
だが新旧の闘いは、近代兵器が旧来型の軍隊を打ちのめすかのように、あっけない幕引きをもたらした。市場利用者が望んでいるのはコスト・パフォーマンスとトレード・スピードであり、それ以外の要素が公に否定された瞬間だったのかも知れない。 加えていえば、シカゴではフロントランニングを初めとするフロアトレーダーの不正事実が相次いで発覚。FBIがおとり捜査官をフロアに派遣し、不正をあばくスキャンダルにまで発展した事実がある。
LIFFEがオープン・アウトクライを捨て電子取引システム開発を宣言したのは
EUREXに敗れたさほど後のことではない。
EUREXが先物世界の盟主たるCBOTを出来高で抑えて世界一の座に君臨したのは前世紀末のことだった。だがシカゴにはもうひとりの巨人CMEがいる。シカゴ
が世界のデリバティブの取引の中心であることになんら変わりはないはずだった。
ところがデリバティブ世界の中心であるシカゴでEUREXの影が明らかになり始めるまで、それほど時間はかからなかった。
まず目に見える形となって現れたのは、当時のCBOT清算会員の中でもナンバー1の座にいたメリル・リンチの撤退だった。プレスリリースにはもっともらしい理由が述べ立てられていた。しかし事情通は、オープン・アウトクライに固執し電子取引システムの構築に力を注ごうとしないCBOTの姿勢に業を煮やした挙げ句の決断だったと解説する。
もちろんCBOT自身、電子取引を無視してきたわけではない。プロジェクトA(電子取引のペットネーム)を開発して夜間取引に充てたのは1994年のこと。だがその背景にはCMEが初代グローベックスをリリースしたため、対抗上、電子取引の開発を急いだ経緯がある。ところがフロアトレーダーたちは通常時間帯での電子取引稼働には強硬に反対。夜間取引は妥協の産物だった。
なお、プロジェクトAの前にはオープン・アウトクライをそのまま電子取引に持ち込むコンセプトで「オーロラ」が開発されたが、結局日の目を見ることはなかった。オーロラはそのできばえから「ニンテンドー」と揶揄されていた。
いずれにせよCBOTの取引ではフロアトレーダー、それも「黄色バッチ」がすべてにおいての優先権を持っている。大げさにいえば黄色バッチのフルメンバーはCBOT創設当初からの血を受け継ぐ純血種で、穀物ピットで手を振れる唯一の資格者だ。その他の色のバッチは、例え看板商品のTボンドを取引できても、大豆のピットに足を踏み入れることは許されない。
フロアトレーダーが電子取引に反対した最大の理由は代理手振りによる収益の喪失だ。90年当時の手数料は1枚あたりおよそ1ドルといわれていた。自己取引は、いくらピットにいる利点があるとはいえ、リスク・ゼロにはならない。しかし代理手振りは違う。トレーダーは既得権益を失うわけにはいかなかったのだ。つまり根底にあるのは労働問題といっていいだろう。
そして取引所の運営を実質的に牛耳っているのは、フロアトレーダーにほかならない。会員投票をすれば必ずフロアトレーダーの意見が優先される。少なからぬ歴代の取引所理事長がフロアトレーダー出身者なのはこのためだ。
ところが流動性・効率性・迅速な約定を第一義におく投資家にフロアの理屈は通用しない。その投資家を顧客とするブローカーにもだ。
ブローカーの中には、次第にCBOTの運営に対する不満が堆積していく。その不満を最初に態度で表明したのがメリル・リンチだったわけだ。結局、メリルはCBOT3階フロアの事務所ごと、CBOTでの商権をオランダ籍の銀行ABNアムロの先物部門に売却。その後はメリルほどあからさまではないにせよ、自己取引をEUREXにシフトするブローカー会社が相次ぐことになる。
すなわち前世紀の終末には、CBOTの長い歴史が、取引所自身の発展の重荷になっていたといえば言い過ぎだろうか。